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自分が、想像もしていない作品を見るのは心がときめきます。
休日、京都市立芸術大学の作品展を見に行きました。
油画、日本画、版画、彫刻、染織、漆工、陶磁器、総合芸術学、構想設計、
と見所一杯の展覧会でした。

大量の一円玉を回している洗濯機。
新聞を何百枚も張り合わせて創った柱。
アルミ板に描かれていた日本画。
等々、どの作品も、クオルティーの高さを感じます。
それが、堅苦しくなく、見る人に楽しさが伝わってきます。
京都市立美術館の歴史ある古い建物の中で若者のフレッシュな熱い想いを
見るのは、楽しいひと時でした。
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- 2016/02/12(金) 20:35:05|
- アート
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兵庫県立美術館に「ジョルジョ・モランディ終わりなき変奏」展を観に行きました。
あまり有名でないので知らない人も多いと思いますが、
20世紀イタリアを代表する画家です。
一生涯、卓上のビンや容器を描いた人と私の中でイメージしていました。
ほとんどの絵の大きさは20号ぐらいで、
50号とか100号サイズの大きな絵はありません。
大画面と彼のモチーフとは合わなかったのだと思います。
淡い画面に、ビンや容器が配列されているただそれだけの構図、
題名も「静物 (Still Life)」だけ、とてもシンプルな絵が、
美術館の壁に何十点と続いていました。
エリック・サティーの音楽を聞いているような、
色のない静かなリズムを感じました。
傾いた水平線、あやふやな形態を見ると、
セザンヌの影響を強く受けていると思いますが、
そこにはセザンヌが暮らした南フランスの暖かい色は見当たりません。
彼もまたセザンヌと同じく、ビンや容器の形態をかりて、
新しい構図を模索していたではないでしょうか。
意外に薄塗で刷毛あとがしっかり残っています。
その刷毛あとが色と共に、形を創り出しています。

後方に描かれている物体は黒く塗られて、前方の物体は白っぽく描かれ、
白、黒とリズミカルに繰り返されています。
ハーモニーの絵だと感じます。
水彩画には構図の模索のあとが色濃く出ている様な気がします。
年代とともに形を借りた抽象絵画の世界に入っていってます。
現代絵画を改めて見るという意味で、一度見に行かれることをお勧めします。
(おそらくあと20年近くは、この人の展覧会は日本ではないと思います。)
- 2016/02/06(土) 17:43:09|
- アート
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この週末、梅で有名な和歌山県みなべ町に行って来ました。
その町ふれ愛センターで行われたアーサー・ビナードさんの講演会を聴いてきました。

アーサー・ビナードさんは詩人で、翻訳家、エッセイストです。

私が知ったのは、絵本「ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸」の構成・文を手がけた人だということ。
この絵本は8年前、第12回日本絵本賞を受賞しています。
彼はアメリカ生まれで、大学で文学を専攻していましたが、
英語の26文字の世界から自由になりたいとの想いから、日本語の文字の表現の多さに惹かれ日本に
来たとのことです。
今まで英語メガネで世界を見ていたのが、日本語メガネで世界を見ると、
見る世界が、ガラッと変わったと話されていました。
「言葉が変われば、世界が変わる」
その後、日本からアメリカを覗くと、今まで気になっていなかったことが、
突然目の前に現れたとのことです。
Atomic bomb(原子爆弾)は原爆が日本に投下されるまでは、
英語になかった。それまでは秘密裏に原爆を開発していたが、一般市民には全く知らせていなかった。
投下後、アメリカの新聞がこの言葉を使うようになり、
そしてあたかも昔から存在していたかのように報道されて行った。
米国民に「この戦争を早く終わらせるには原爆投下は必要だった」とプロパガンダされた。
日本にも原子爆弾の言葉はなく、「ピカ」「ピカドン」と言う言葉であった。
等々、彼が日本語の言葉への「引っかかりフック」から調べていって知ったことです。
彼の言葉に対する世界観の大きさに感心ました。
彼の言った「使う言葉で自分の立ち位置が決まる。」
心に刺さりました。
- 2016/02/05(金) 08:28:31|
- 本
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先週滋賀県の賤ヶ岳に行きました。
関西の豪雪地帯?と言われています。
ちょうど、午後から寒波がやって来ると、
言われていたので覚悟してましたが、
思いのほか雪も積っていなくて、
寒さもそれほどでもありませんでした。(気温2度)
おかげでアイゼンを使用しなくて済みました。

それでも頂上(431m)で食事を取っていると、
5分もたたないうちに寒さでガタガタ震えてきました。
(スケッチをしようと思っていたにですが、寒さで
それどころではありませんでした。)

下山の途中の立て札に「山本山」の文字があり、
「海苔」だけでなく、本当に「山本山」と言う山が滋賀にあったとは知りませんでした。

帰りは余呉湖畔を歩きましたが、
水辺の木には氷柱が張っていて、綺麗でしたよ。
帰りの駅で電車を待っていると、カメラを持った
人が沢山おられました。
その中のお一人にお話を聞くと、この辺りは
冬景色を撮るビューポイントのようです。
でも、スケッチをされている方はいませんでした。
- 2016/02/01(月) 10:02:16|
- スポーツ
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